東京地方裁判所 昭和32年(レ)74号 判決 1963年3月02日
控訴人 神谷謙
右訴訟代理人弁護士 清田幸次郎
被控訴人 藤井丈太郎
右訴訟代理人弁護士 里見馬城夫
主文
一、本件控訴を棄却する。
二、当審における控訴人の拡張部分の請求はいずれも棄却する。
三、控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
第一、控訴人がその主張のとおり被控訴人に対し、本件建物を賃貸したことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一号証及び原審証人神谷富一の証言によれば、被控訴人は賃借に際し、控訴人に対し、本件建物を現形のまま使用し、控訴人の承諾を得なければ、本件建物または造作物を変更しないことを約束したことが認められる。ところで控訴人主張のとおり、被控訴人が本件建物の土台と柱を取替えたこと、及び控訴人が賃貸借契約解除の意思表示をしたことは当事者間に争がない。
そこで土台と柱の取替えが右約束に違反するかどうかについて検討する。本件建物がもと二戸建一棟の東側の一戸であつたが、控訴人が昭和二九年四月西側の一戸を取毀したことは当事者間に争がなく、原審証人三浦専吉≪中略≫によれば、控訴人は同年同月ころ本件建物の切離し部分に柱三本位を補強して一時的な応急の修繕をしたに過ぎなかつたこと、被控訴人はそのころから控訴人の他理人の訴外神谷富一(控訴人の父)に対し、度々修繕をするように申出たが、これを拒絶されたこと、本件建物は昭和四年ころの建築にかかること、及び被控訴人は家族とともに本件建物に居住して染物洗張業を営んでいることが認められ、右認定に反する原審証人神谷実一同中村誠次及び当審証人神谷ナツの各証言はたやすく信用ができない。以上の認定事実によれば、本件建物は建築後相当の年数を経て古びてきていたのに、本件建物と接着する他の一戸を取毀したため、本件建物の切離し部分を中心としてかなりの修繕を施す必要があつたことを推認でき、前記の土台と柱の取替えは被控訴人が右切離前と同様に、本件建物を店舗兼居宅として賃貸借契約に従つて安全かつ有効に使用するための相当な範囲内の修繕であつたものということができ、そして建物等変更禁止の約束には、被控訴人が賃借の目的を達するために施す適当な修繕を禁止する趣旨は含まれていないものと解するのが相当である。
したがつて被控訴人が前記約束に違反したものということはできないから、契約解除の意思表示は効力を生じないといわなければならない。
そうすると、契約解除の有効であることを前提とする控訴人の主位的請求は失当である。
第二、次に予備的請求について判断する。
一、控訴人がその主張のとおり賃貸借契約の解約の申入れをしたことは当事者間に争がないので、以下正当事由の存否について検討する。
二、先づ控訴人側の事情について考察する。
1、前記認定のとおり本件建物は古びており、成立に争のない甲第四号証の一の記載及び原審証人神谷富一の供述中には、控訴人主張のとおり、本件建物が破損しているとの部分があるが、当審における検証の結果によれば、これといつた破損腐朽の箇所が見受けられず、今後相当期間の耐用年数があるものと認められるので、前記の記載及び供述部分は信用できない。その他朽廃のおそれがあることを認定するにたる証拠はない。したがつて現在朽廃のおそれがあるとの理由で本件建物を改築する必要はないものといわざるをえない。
2、当審における検証の結果によれば、本件建物は控訴人主張のとおり商店街の表通りに存在し、その附近には二階建以上の簡易耐火または耐火建築の店舗等が立ち並び、古びた木造建物は数少いことが認められるが、本件建物の表側(北側)には看板をかかげ、表側の両脇には竹垣を設け、古びた建物の一面を覆い隠し、簡素ながらも、和風の店舗にふさわしい構えをしていることが認められ、本件建物の存在が近隣の発展を阻害するものとは考えられないから、場所的環境上本件建物を改築する必要があると断言することはできない。
3、当審証人神谷ナツの証言及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は高等学校の教員であつて、妻子との三人家族であり、借家住いをし、別に育親の叔母に控訴人所有の建物を提供し、毎月一六、〇〇〇円位を与えて扶養しているが、年間七五万円の給料収入(税込み)の外、控訴人所有の貸家二棟から一ヵ月一四、〇〇〇円の賃料収入を得ていること、前記の取毀した西側の一戸の跡地には、控訴人の母の訴外神谷ナツが二階建の二戸建一棟の店舗兼居宅を新築し、その東側の一戸を賃料一ヵ月一万円で賃貸し、その西側の一戸で、控訴人の妹とともに美容院を経営していることが認められ、控訴人が母をも扶養しなければならない立場にあるものとは思われず、また控訴人の収入だけで妻子と叔母を扶養できないほどに経済的に窮屈であるとは言い難く、その他控訴人主張のとおり本件建物の敷地等を高度に利用しなければならないほどに生活上困窮もていることを認めるにたる証拠はない。
成立に争のない甲第五号証によれば本件建物敷地の昭和三六年七月頃の時価は少くとも一坪七万円以上であることは認められるが、右建物の賃料を一ヶ月千円と固定して採算の有無を勘案せねばならない根拠は見当らない。すなわち、当審における被控訴人本人尋問の結果及び当審検証の結果によれば、本件建物は被控訴人の住居用に兼用されているとはいえ全体として店舗用に使用されていることが認められるので、賃料額を控訴人の投下資本額に見合せて増額することは不可能とはいえないからである。
5、控訴人の無断改造の主張は前記第一に説示したと同一の理由から、正当事由の認定資料に供することはできない。
前記二の認定の諸事情の下では、控訴人側に正当事由があるということができないというべきところ、控訴人がその主張のとおり、立退料五〇万円の提供及び家賃と損害金の支払の免除を申出ていることは当裁判所に明らかであるが、右のような補強条件によつて正当事由を肯認できるかどうかを審究するにあたり、ここで被控訴人側の本件建物を使用する必要性について考察するに、原審と当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人は昭和一一年から本件建物で染物洗張業を経営し、相当信用をえているが、収入は一ヵ月三万円から五万円に過ぎず、他に転居することになれば、それに伴う諸経費の支出、新店舗で信用を獲得するに至る間の諸経費支出の激増と収入の減少により六人の家族の生計を維持することさえ困難な窮地に陥ることが認められ、右認定に反する当審証人神谷ナツの供述部分は信用しない。したがつて被控訴人には本件建物を継続して使用する必要性があるものということができる。
ところで原審証人神谷富一、同三浦専吉の各証言によれば、被控訴人は本件建物と同様な条件の貸店舗を獲得する資金として、相当金額の立退料を提供してくれれば、本件建物を明渡してもよい意向であつたことが認められるが、かかる場合、立退料の金額は被控訴人が転居することによつて被る一切の損失を補てんするにたるものでなければならぬものと解すべきところ、成立に争のない甲第五号証によれば、本件建物の昭和三六年七月当時における借家権の評価額が一、三九六、三八〇円であつたことが認められ、これに前記認定の当事者双方の諸事情を斟酌すると、控訴人の提供申出の金額及び明渡期限では十分でないと認定するのが相当である。しかるに控訴人は当裁判所の相当と認める金額を立退料として提供する用意があると陳述しているが、当裁判所が相当と認める金額は控訴人の提供申出金額を超え格段に相違するので弁論の全趣旨に照らし、控訴人の期待と距ると思料されるので、これを示すことは、本件に関する限り適切でなく、結局立退料提供による解約の正当事由も認定し得ないとするの外はない。
三、そうすると、いまだ本件建物明渡請求の正当事由を肯認することができないから、前記の解約の申入れは無効であるといわなければならない。したがつて控訴人の予備的請求も失当である。
第三、以上のとおり、控訴人の請求はいずれも失当であるから、これを棄却すべく、主位的請求中明渡部分につき右と同一結論の原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、かつ当審における拡張部分の請求を棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 畔上英治 裁判官 岩村弘雄 鹿山春男)